おんな城主 直虎 第3回「おとわ危機一髪」感想&解説など

おんな城主 直虎 第3回「おとわ危機一髪」感想&解説など

 第3回目はざっくりと言えば、おとわが今川家の人質になるかならないか、という内容でした。

 おとわが人質云々、というのは完全に創作でしょうが、この回を使って今後ドラマに出てくる重要人物の紹介をうまく兼ねていたんじゃないかな、という印象でしたね。

 というわけで今回新たに登場した人物もかなりいるので、その辺りを含めて感想や解説などをしていきます。

第3回「おとわ危機一髪」

 婚約者であった亀之丞こと井伊直親が井伊谷を脱出したことで、おとわこと井伊直虎が出家したことはよく知られていることです。

 ドラマではおとわ自ら出家しようと決め、これまた自ら髪を落としてしまいます。
 この行為に今川家が怒り、本領を安堵して欲しければおとわを人質に寄越せ、という展開になっていくわけですね。

 このような事態におとわの曽祖父である井伊直平が、家臣である小野政直の嫡子、鶴丸を拉致してしまうという暴挙に出たりと混乱が生じます。

 そんなこんなで駿府に向かうおとわ一行ですが、おとわの人質回避のために知恵を絞った南渓和尚は、今川義元の軍師である太原雪斎や井伊直平の娘である佐名、及び寿桂尼らに接触を図り、便宜を図ってもらおうと奔走するわけです。

 ここで次から次へと新しい人物が出てきたわけですが、これらの登場人物はかなり重要な面々であったりします。

 まず南渓和尚が最初に直接面会した太原雪斎ですが、この人物は今川義元の師であり、軍師として義元を支えた重臣でした。

太原雪斎とは

 名前から分かるように雪斎は僧ですが、なぜ僧が武家の家臣に、と疑問を覚える方もいらっしゃるかもしれません。

 それはまず、主君である義元は元々出家しており、本来ならば今川宗家の家督を継げるような立ち位置ではありませんでした。
 そのため義元は早いうちに出家しており、その時に太原雪斎を師としてあちこち修行して回っていたというわけです。

 義元の父である今川氏親が死去すると、その家督は長男である今川氏輝が継いだのですが、次男と共に相次いで早世してしまいます。

 そのため三男と五男である義元との間に、今川宗家の家督争いが発生しました。
 これが花倉の乱と呼ばれるお家騒動なわけですね。

 この時に義元を支えたのが太原雪斎であり、義元が家督を継いだ後も、義元は雪斎を重用しました。
 雪斎もまた、外交面や軍事面で義元を支えていくことになります。

佐名・および瀬名とは

 雪斎との会見が不首尾に終わった南渓和尚が次に向かったのが、佐名という女性です。

 この人物は、現在井伊谷で問題行動を起こしておとわの父である井伊直盛を悩ませている井伊直平の娘なわけですね。

 佐名は井伊家と今川家、及び徳川家を後に繋ぐことになる、地味に重要な人物であったりします。

 ドラマでも「お手つき」という風に語られていましたが、佐名は今川義元の側室であり、のちに義元の義理の妹という体裁にして、今川家重臣である関口親永に嫁ぎ、瀬名こと築山殿を生むことになるわけです。

 今回のドラマでも瀬名という名前で登場していました。作中において瀬名は義元の嫡子である龍王丸との結婚を望んでいましたが、実際には後に徳川家康の正室になるわけですね。

龍王丸とは

 今川館に入ったおとわですが、そこで龍王丸に蹴鞠で勝負を挑み、勝利して褒美をもらうことで状況を打破しようと試みます。

 この龍王丸というのはのちの今川氏真のことであり、戦国時代きってのばか殿様として知られている人物です。

 と、書きましたが、それは氏真の代で今川家が滅亡したからであり、大抵どこの時代、どこの国であろうと、最後の当主はそんな風に書かれるものです。

 氏真の代で今川家が滅んだのは事実ですが、それは周囲に織田、武田、北条といった強豪に囲まれ、更にはのちに天下を平定する狸オヤジである徳川家康には離反されているような状況では、誰であろうと遅かれ早かれ、であったともいえます。

 しかし氏真の名誉のためにいえば、確かに大名としての能力は平凡以下であったかもしれませんが、氏真個人としては非常に芸達者な人物(蹴鞠などは相当な腕だったようで、のちに織田信長の前で披露することになります)で、妻となった早川殿とは生涯仲睦まじく、しかもお互いに長生きした上で、周囲のライバルであった織田、武田、北条家が完全に滅んでしまう中、今川家は氏真の代以降も江戸時代まで存続したという、有る意味で勝ち組に終わった人物だったりします。

 やはりこの時代、最後まで生き残った者が勝者なんですよね。

 ちなみに龍王丸の名ですが、これは今川家の嫡子が代々受け継いできた名であり、今川家が相伝してきた源氏の宝刀「龍丸」に由来しています。⇒詳細は今川基氏今川基氏の頁へ。

南渓和尚とは

 ともあれ、結果的におとわは出家を認められ、人質は免除されて井伊の本領も安堵、という形で落ち着きます。

 当初、考えた策がことごとく外れて何やら頼りなさげな南渓和尚でしたが、結果的には和尚の策通り、太原雪斎や寿桂尼の口添えのおかげ、という形でした。

 そして最後に佐名のもとを訪れた南渓和尚が礼をいうシーンがあるのですが、そこでの佐名の台詞から南渓和尚の出自がはっきりとすることになります。

 佐名は南渓和尚のことを兄と呼んでおり、つまり南渓和尚は井伊直平の息子、ということになるわけです。

 直盛の父である井伊直宗や、義元に成敗された井伊直満とは兄弟、ということになるわけですね。

 この南渓和尚ですが、正しくは南渓瑞聞(なんけい ずいもん)といい、史実では長らく井伊直平の次男、もしくは三男とされてきました。

 しかし近年新たな史料が見つかったことで、直平が南渓和尚の実の親ではなかったことが推測されています。
 現在では直平の養子ではないか、とされているようですね。

 ともあれ南渓和尚はそういった経緯から井伊家とは関係が深く、今後訪れる井伊家への苦難の中、井伊家を実質率いていくことになるのです。


 <<おんな城主 直虎 第2回「崖っぷちの姫」感想&解説
 おんな城主 直虎 第4回「女子にこそあれ次郎法師」感想&解説 >>


おんな城主 直虎カテゴリの最新記事