奥山朝利とは戦国時代の武将であり、遠江国井伊谷を治めた井伊家に仕えた人物です。
のちに徳川四天王と称される井伊直政の外祖父としても知られています。
奥山朝利(おくやま ともとし)
生年 不詳
没年 1561年(永禄3年)もしくは1563年(永禄5年)
別名 親秀
主君 井伊直盛
親 父:奥山親朝
兄弟 新野親矩室
妻 奥山朝利の娘
子 朝宗 朝重 朝家 勘三郎 井伊直親室 (おひよ)他
井伊氏の親戚衆として
朝利の生年は分かっていません。
奥山氏は元々井伊家の分家であったとされています。
この人物は井伊家一門やその家臣団に、自身の娘を多数嫁がせることで井伊家での実力を伸ばしたと考えられます。
娘たちが嫁いだ相手を列挙すると、
・井伊直親(井伊家当主)
・中野直由(井伊家重臣)
・小野朝直(父・政直、兄・政次が井伊家家老)
・西郷伊予守
・鈴木重時(井伊谷三人衆)
・菅沼淡路守
・橋本四方助
・平田森重
などが挙げられます。
また朝利の妹は今川家重臣で、かつ井伊家と縁戚である新野親矩に嫁いでおり、井伊家家中にあって影響力を誇っていたことが伺えます。
しかし歴史において、朝利自身のことはよく分かってはいません。
ただ今川家やそれに属するものたちにとって大きな転換点となった、1560年(永禄3年)に起きた桶狭間の戦い以降、奥山氏は急激に衰退していったと思われます。
この戦いにおいて、井伊家当主であった井伊直盛は戦死し、また朝利の娘が嫁いでいた小野朝直もまた討死しました。
小野家は井伊家にあって特に影響力を誇っていた家であり、その小野家との縁が切れたことや、また直盛の跡を継いだ井伊直親と朝直の兄・小野政次とは仲が悪く、直親や政次と対立していた井伊家重臣・中野直由らとの縁が残ったことで、その縁が偏り、小野家に敵視された可能性は否めません。
そのせいであるかは不明であるものの、朝利は桶狭間の戦い後である永禄3年、もしくは永禄5年に小野政次によって暗殺されました。