野村直隆 ~鉄砲衆の頭として各地を転戦した、近江国国友城主

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 野村直隆とは戦国時代の武将であり、北近江の戦国大名・浅井長政の家臣。
 主家滅亡後は織田信長、豊臣秀吉と仕えて、鉄砲隊を率いて各地を転戦しました。

 野村直隆(のむら なおたか)
 生年  不明
 没年  不明
 別名  藤左衛門 肥後守
 主君  浅井長政⇒織田信長⇒豊臣秀吉
 子   直俊

横山城と姉川の戦い

 野村直隆の生年は分かっていません。

 1570年(元亀元年)に、主家である浅井氏と織田氏の対立により、姉川の戦いが勃発します。

 姉川の戦いに至る経緯として、織田氏は浅井氏攻撃のために近江国に進軍しますが、その居城である小谷城から横山城は5~6kmしか離れておらず、織田方にとって戦略的に重要な前線基地となりえました。

 そのため織田信長は横山城の攻略に着手。
 野村直隆は三田村国定や大野木秀俊と共に横山城を守っていましたが、包囲されてしまいます。

 直隆らはこれを死守し、浅井氏にとっても重要な拠点である横山城を救援するため、浅井長政率いる浅井軍と、浅井氏の盟友・朝倉氏より来援した朝倉景健率いる朝倉軍が合流し、侵攻してきた織田・徳川軍と姉川にて会戦に及びます。

 これが世に言う姉川の戦いです。

 この戦いに浅井・朝倉連合軍は敗退し、織田方は余勢を駆って横山城を攻略し、直隆らは降伏して小谷城へと退却しました。

 翌年の1571年(元亀2年)には織田方に寝返った、元浅井家臣・宮部継潤が国友城を攻撃。
 これを守っていた野村直隆をこれを撃退するなど活躍します。

近江国友城主として

 しかしその後の1573年(天正元年)に、小谷城の戦いを経て浅井氏は滅亡。
 野村直隆は織田氏の家臣となりました。

 その織田氏の当主・織田信長が本能寺の変で横死すると、直隆は羽柴秀吉に仕え、その旗本の鉄砲頭として近江国の国友2万石の城主となります。

 直隆は秀吉の小田原征伐や朝鮮出兵である文禄の役にも、鉄砲隊を率いて参陣したとされています。

関ヶ原の戦い以降

 秀吉が死去し、1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦いが勃発すると、直隆は西軍として参加し、伏見城の戦いに参戦しました。

 これよりのちの消息は不明であるものの、関ヶ原の戦いは西軍敗北に終わっており、戦後改易されたと推測されているようです。

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補足だか蛇足だか

信長の野望 創造 戦国立志伝より、能力値

  統率 武勇 知略 政治
野村直隆  50  59  46  26

 一応、戦争向きの能力といったところ。
 城主を務めていた割には、政治力はえらく低いですね。
 生没年不詳の人物ですが、ゲーム中では関ヶ原の戦いのあった1600年に死去したことになっているみたいです。

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