南渓瑞聞(南渓和尚) ~おんな城主・井伊直虎誕生のきっかけを作った、龍潭寺住職

南渓瑞聞(南渓和尚) ~おんな城主・井伊直虎誕生のきっかけを作った、龍潭寺住職

丸に橘 南渓瑞聞とは戦国時代の僧侶であり、龍潭寺の二世住職です。
 井伊家存亡の危機の際に、井伊家出身の女性であった次郎法師を井伊直虎として、井伊家当主に推薦した人物として知られています。

 南渓瑞聞(なんけい ずいもん)
 生年  不詳
 没年  1589年(天正17年)
 別名  南渓和尚
 宗派  臨済宗
 寺院  龍潭寺
 親   父:井伊直平か?(養父の可能性も)
 兄弟  (井伊直平が父親であるならば)直宗 直満 直義 直元 今川義元側室

井伊氏との関係

 南渓瑞聞こと南渓和尚は、遠江国井伊谷の城主であった、井伊直平の次男か三男として生まれたといわれてきました。

 しかし2016年に発見された位牌や、龍潭寺が所蔵する「南渓過去帳」によると、実田秀公居士という名で南渓の父親の法名が記されており、これが直平の法名とは異なるため、実子ではなく養子ではないかという説も出ているようです。
 ともあれ今のところ、南渓瑞聞の出自ははっきりとはしていません。

 南渓瑞聞は龍潭寺の一世住職である黙宗瑞淵(井伊直平に招かれたとされる)に弟子入りし、その後住職を継いで二世となりました。

井伊直親の逃亡を助ける

 1544年(天文13年)に、井伊家家臣である小野政直の讒言を受けて、井伊家当主であった井伊直盛の叔父である井伊直満・直義が今川義元に謀反の疑いをかけられ、処刑される事件が起きます。

 この際に、直満の息子である井伊直親も謀反人の子として、今川家より首を差し出すよう命令があったわけですが、南渓瑞聞は直満の家臣であった今村正実(今村藤七郎)と相談し、直親を信濃国にある松源寺に匿うことを決断しました。
 この松源寺は南渓瑞聞の師である黙宗瑞淵の縁の寺であったとされます。

井伊家当主の相次ぐ死と衰退

 その後、井伊家には不幸が連続して訪れました。

 ・1560年(永禄3年)には、井伊家当主であった井伊直盛が桶狭間の戦いで戦死。

 ・1563年(永禄5年)には、直盛の跡を継いだ井伊直親が、家臣である小野政次(小野道好)の讒言にあい、今川氏真によって謀殺。

 ・1563年(永禄6年)には、井伊家の長老的存在であった井伊直平が死去。一説には毒殺とも。

 ・1564年(永禄7年)には、井伊谷家名代を務めていた重臣・中野直由及び、井伊家縁戚で今川家重臣・新野親矩が、曳馬城攻めにおいて討死。
  
 このような不幸が続いたことで、井伊氏は無主状態となってしまいます。

井伊直虎の擁立

 そのため南渓瑞聞は、直盛の妻であった祐椿尼と協議し、その娘である次郎法師を井伊家当主として推薦し、井伊直虎として擁立しました。

 井伊家の危機はその後も続き、宗主であった今川家が衰亡する中、井伊家の時期当主であった井伊直政を徳川家康に出仕させることになります。
 このとき南渓瑞聞は、祐椿尼、井伊直虎、奥山ひよ(井伊直親の妻、井伊直政の母)らと相談し、出仕のきっかけを作ったとされています。

 その後、直政は家康の小姓となり、井伊谷の安堵を認められ、のちの井伊家復興に繋がっていくことになりました。

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