河合吉統 ~朝倉氏の行政全般を担った、一乗谷奉行人

NO IMAGE

 河合吉統とは戦国時代の武将であり、越前朝倉氏の家臣。
 朝倉氏の行政担当として活躍し、最期は刀根坂の戦いにおいて戦死した人物として知られています。

 河合吉統(かわい よしむね)
 生年  1521年(大永7年)
 没年  1573年(天正元年)
 別名  五郎兵衛尉
 主君  朝倉義景
 親   河合久徳(父、もしくは祖父)

朝倉氏の行政を担当する

 河合吉統は1521年(大永7年)に誕生。

 内政に手腕を振るった人物で、最初は当主である朝倉義景の奏者として活動。
 その後1550年(天文19年)に奉行衆へと任命。
 1570(元亀元年)から1573年(天正元年)の朝倉氏滅亡まで、いわゆる一乗谷奉行人と称された地位あって、行政全般を担っていたと考えられています。

 この期間においては、朝倉家の家臣団の中では最高位の地位にあったと思われます。

一乗谷奉行人

 一乗谷奉行人とは、朝倉氏当主の命を奉じて政務を執行する者のことをいいます。
 これは一人だけではなく、二名から四名の奉行人がこれにあたっていました。

 この奉行職に任命される家柄は決まっており、朝倉掃部助家、朝倉玄蕃助家(越中守家)、魚住家・河合家・小泉家・前波家の六家であったとされ、この中で交代しつつ世襲していたようです。

刀根坂の戦い

 内政に腕を振るう一方で、河合吉統は武将として各地に転戦していたようで、1566年(弘治元年)には大野郡や加賀への出兵、また1570年(元亀元年)の姉川の戦いにおいても、先鋒として出陣しています。

 しかし1573年(天正元年)、朝倉氏は織田信長に対し、刀根坂の戦いで大敗を喫しました。

 この時に朝倉氏の有力家臣を数多く失い、吉統もまたその一人であったことが、記録に残されています。

スポンサードリンク

補足だか蛇足だか

信長の野望 創造 戦国立志伝より、能力値

  統率 武勇 知略 政治
河合吉統  40  41  60  69

 内政向きの能力ですね。
 文武両道な活躍をしていたみたいですが、やはり内政の方に比重がいっているようです。
 朝倉氏において、最高の行政担当であった割には政治が低めなような気もしますが。

朝倉家カテゴリの最新記事