寿桂尼 ~今川四代を支えた女戦国大名

寿桂尼 ~今川四代を支えた女戦国大名

足利二つ引両 駿河を支配した戦国大名今川氏親の正室。子に桶狭間で討たれた今川義元らがおり、夫の氏親、子の氏輝・義元、孫の氏真と四代に渡ってその補佐をした人物として知られています。

 名前は伝わっておらず、出家した際の寿桂尼という名前が現在に伝わっていますね。
 「女戦国大名」や「尼御台」と呼ばれるほどの人物だったそうです。

 寿桂尼(じゅけいに)
 生年  不詳
 没年  1568年(永禄11年)
 家紋  足利二つ引両
 主君  今川氏親⇒今川氏輝
     ⇒今川義元⇒今川氏真
 親   父:中御門宣胤
 兄弟  御門宣秀 姉:山科言綱の正室
 夫   今川氏親
 子   今川氏輝 今川彦五郎 
     今川義元 瑞渓院(北条氏康室)

出自

 生年は伝わっていません。権大納言中御門宣胤の娘として誕生。中御門宣胤は藤原北家である勧修寺流の中御門家の出自とされ、つまり公卿でした。

 今川家は室町幕府の将軍家である足利一門であり、幕府との関係が強い大名家でした。そして公家の出である寿桂尼を今川家に迎え入れたことで、今川と京との関係は深くなっていきます。

 1508年、もしくは1505年に今川氏親のもとに嫁ぎ、1513年に長男・今川氏輝を、1519年には三男・義元を出産しました。

 1526年頃に、分国法として有名な今川仮名目録の作成に携わったとされていますが、今のところあくまでその可能性がある、ということのようです。

女戦国大名

 1526年、夫・氏親が病死してしまいます。

 家督を継いだ氏輝はこの時まだ14歳。とても政務を見れる年齢ではなく、寿桂尼が代行として二年間、政務を取り仕切りました。

 自身の印判を用いて公的文書を発給していたこともあって、実質的な大名として、女戦国大名などと呼ばれるようになったようです。

 1532年頃より、成長した氏輝が親政を開始するものの、1536年にはまだ24歳という若さで死去してしまいました。

 同日に弟であった彦五郎も死去していることから、その突然の死に対して毒殺説や自殺説などが疑われているようです。

花倉の乱

 氏輝には嫡子が無く、今川家の家督を巡ってお家騒動が発生しました。

 後継者選定にあたり、家中で影響力の強かった寿桂尼や太原雪斎といった重臣たちは、出家していた三男・栴岳承芳(ばいがく しょうほう)を還俗させ、家督を継がせようとします。栴岳承芳というのは後の今川義元のことですね。

 しかしこれに反対した勢力が福島氏で、福島正成の娘が今川氏親の側室であったことから外戚にあたり、子の玄広恵探(げんこう えたん)を擁立して対抗しました。

 寿桂尼は福島越前守(福島正成かもしれないとされている人物)に対して説得を試みましたが、これに失敗します。ちなみに福島越前守は寿桂尼の側近であったともいわれています。

 そして恵探派はついに挙兵。駿府にある今川館を襲撃しました。
 しかし襲撃は失敗に終わり、恵探は花倉城に拠って抵抗。栴岳承芳は北条氏の支援を取り付けるとともに、これを攻撃します。

 恵探は逃亡し、自刃。寿桂尼の三男である栴岳承芳が、正式に今川の家督を継ぐこととなりました。

 ただ寿桂尼は玄広恵探側にいたという説もあるようですが、はっきりとはしないようです。

今川義元時代

 栴岳承芳改め今川義元が当主となると、寿桂尼はこれを補佐。今川の軍師である太原雪斎も加わり、今川家は全盛期を迎えます。

 隣国三河の松平家も従属させ、両国を拡大。また外交面では甲相駿三国同盟を成立。

 この時寿桂尼の娘である瑞渓院は北条氏康に嫁ぎ、その娘である早川殿は後に寿桂尼の孫にあたる今川氏真に嫁いでいます。
 同盟の成立と共に後顧の憂いを無くし、三河も手に入れ、更に西を目指す義元の前に立ちはだかったのが、織田信長でした。

 1560年の桶狭間の戦いで、義元は討死。これをきっかけに、領国は混乱していくことになります。

死しても今川の守護たらん

 後を継いだ今川氏真が当主となると、寿桂尼はこれを補佐。斜陽の今川家を支え続けます。

 そして義元の死から八年後の1568年。寿桂尼は死去します。
 生年が不明なのではっきりとはしませんが、この時の年齢は80歳前後ではないかといわれています。

 死しても今川の守護たらん

 彼女の希望により、その遺体は今川館の東北、つまり鬼門の方角に当たる竜雲寺に埋葬されました。

 しかし寿桂尼の死後、手切れとなっていた武田信玄の駿河侵攻が始まります。
 そして1569年、今川氏真の降伏によって、戦国大名としての今川家は滅亡しました。

 今川家当主が次々に夭折していく中にあって、今川家を支え続けた人物であったといえます。

寿桂尼 関係年表

 1508年 今川氏親に嫁ぐ。
 1513年 長男今川氏輝出産。
 1519年 三男今川義元出産。
 1526年 今川氏親死去。
 1536年 今川氏輝、今川彦五郎死去。
     花倉の乱勃発。
 1560年 桶狭間の戦い。義元死去。
 1568年 寿桂尼死去。
 1569年 今川氏真、掛川城にて降伏。今川氏滅亡。

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補足だか蛇足だか

信長の野望 創造 戦国立志伝より、能力値

  統率 武勇 知略 政治
寿桂尼  80  35  81  88

 どこぞのおんな城主と似たような能力バランスですが、おんな戦国大名の方がすべてにおいて一歩上の能力値となっています。
 大河ドラマでおんな~をするんであれば、寿桂尼の方が良かったような気も。

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