今川範国 ~今川家を守護大名へと押し上げた、今川氏第3代当主

今川範国 ~今川家を守護大名へと押し上げた、今川氏第3代当主

足利二つ引両 今川範国とは今川宗家の第3代当主にして、守護大名としての駿河今川氏初代当主でもある人物です。

 今川範国(いまがわ のりくに)
 生年  1295年(永仁3年)
 没年  1384年(至徳元年)
 改名  松丸⇒範国
 別名  五郎
 主君  守邦親王⇒足利尊氏
 親   父:今川基氏 母:香雲院
 兄弟  頼国 範満 頼周 大喜法忻
 子   範氏 貞世 氏兼 仲秋

範国と中先代の乱

 1295年(永仁3年)に今川基氏の五男として生まれました。

 範国は1331年(元弘元年)に起きた、鎌倉幕府討幕運動である元弘の乱で戦ったとされています。

 この元弘の乱の結果として鎌倉幕府は滅亡するわけですが、倒幕を主導した後醍醐天皇による建武の新政から足利尊氏が離反すると、範国は同族(範国の祖父・今川国氏の祖父が足利義氏。尊氏の先祖に当たる人物でもある)ということからこれに従い、範国の四人の兄達と共に各地を転戦することになります。

 1335年(建武2年)には、中先代の乱が勃発。

 中先代の乱とは北条時行が鎌倉幕府再興のために起こした反乱のことであり、範国ら兄弟は反乱軍を相手に戦うことになりました。

 信濃で挙兵した反乱軍は鎌倉将軍府に向かって進軍します。

 これに対し、範国の次兄である今川範満が小手指原の戦いにて戦うも敗北して戦死。
 小夜中山合戦においては長兄である今川頼国が名越邦時を討ち取る戦功を挙げるも、その後の相模川の戦いにおいては頼国と三兄である今川頼周が戦死してしまいます。

 この中先代の乱で今川家の兄弟は活躍するも相次いで戦死し、四男である大喜法忻は出家していたため、五男であったにも関わらず範国が今川宗家の家督を継ぐことになったようです。

守護大名職につく

 1336年(建武3年)に範国は遠江守護職を与えられ、更には駿河守護職を与えられました。

 この遠江守護は一時的に仁木義長や千葉貞胤に任じられていた時期もありましたが、1352年(文和元年)に再任され、再び遠江守護職も兼任していたようです。

 範国は1353年(文和2年)に、宗家の家督と守護職を嫡男である今川範氏に譲り、隠居しました。
 しかし足利尊氏の要請を受けて、室町幕府の引付頭人といった職を務めていたようです。

 範国は長命だったこともあり、跡を継いだ範氏が1365年(貞治4年)に死去し、先立たれてしまいます。
 
 そのため家督は孫の今川泰範に継がせました。

 そして1384年(至徳元年)に死去。
 歌道や有職故実にも通じた文化人であったようです。

 また今川家の家紋の一つ、今川赤鳥を使うようになったのも、範国の代からであるといわれています。

今川家歴代当主

 第一代  今川国氏 1243年~1282年
 第二代  今川基氏 1259年~1323年
 第三代  今川範国 1295年~1384年
 第四代  今川範氏 1316年~1365年
 第五代  今川泰範 1334年~1409年
 第六代  今川範政 1364年~1433年
 第七代  今川範忠 1408年~1461年
 第八代  今川義忠 1436年~1476年
 第九代  今川氏親 1471年~1526年
 第十代  今川氏輝 1513年~1536年
 第十一代 今川義元 1519年~1560年
 第十二代 今川氏真 1538年~1615年

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