今川基氏 ~今川家繁栄の基礎を作った、今川氏第2代当主

今川基氏 ~今川家繁栄の基礎を作った、今川氏第2代当主

足利二つ引両 今川基氏とは鎌倉時代の武将で今川氏の第2代であり、守護大名や戦国大名として名を馳せる今川氏の繁栄の基礎を作った人物として知られています。

 今川基氏(いまがわ もとうじ)
 生年  1259年(正嘉3年)
 没年  1323年(元亨3年)
 別名  龍王丸
 親   父:今川国氏
 兄弟  常氏 俊氏 政氏 長女(一色公深室か?) 次女(名越高家室か?) 三女(石川氏室)
 子   頼国 範満 頼周 法忻 範国

基氏と霜月騒動

 1259年(正嘉3年)に今川国氏の嫡男として誕生。
 父親である国氏は吉良氏からの分流で、初めて今川姓を名乗ったことで知られており、今川氏の初代当主とされている人物です。

 幼名である「龍王丸」とは父・国氏がその出産に際し、相伝していた源氏の宝刀である「龍丸」を飾って祈ったことが由来であるといわれています。
 以後、この名前は今川宗家の嫡子の名前として、後世に伝えられていくことになりました。

 国氏は今川荘の地頭でしたが、基氏はそれ引き継ぎます。
 しかしやがて霜月騒動の恩賞として与えられた遠江国引間荘に移住したとされています。

 霜月騒動とは弘安合戦、または安達泰盛の乱とも呼ばれている鎌倉幕府の政変です。

 『今川記』によると、この霜月騒動にいて父・国氏が戦功として第7代鎌倉将軍の源惟康(惟康親王)より遠江国引間荘を与えられたことになっているのですが、霜月騒動が起こった年にはすでに国氏は死去しているため、この記述は事実ではないとされています。

 そのため、実際にこの遠江国引間荘を与えられたのは国氏ではなく、基氏であったと考えられているようです。

 これが今川氏発展の基礎となったようで、その後、基氏の子の代になると、この遠江国を拠点とした今川氏の活躍が目覚しくなり、その代において、基氏の五男である範国が駿河・遠江両国の守護職に任じられることになるのです。

今川家歴代当主

 第一代  今川国氏 1243年~1282年
 第二代  今川基氏 1259年~1323年
 第三代  今川範国 1295年~1384年
 第四代  今川範氏 1316年~1365年
 第五代  今川泰範 1334年~1409年
 第六代  今川範政 1364年~1433年
 第七代  今川範忠 1408年~1461年
 第八代  今川義忠 1436年~1476年
 第九代  今川氏親 1471年~1526年
 第十代  今川氏輝 1513年~1536年
 第十一代 今川義元 1519年~1560年
 第十二代 今川氏真 1538年~1615年

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