井伊直親 ~徳川四天王・井伊直政の父

井伊直親 ~徳川四天王・井伊直政の父

丸に橘 井伊直親とは戦国時代の武将であり、遠江国の国人である井伊家の当主。今川家の家臣。

 井伊家の人物として有名なのは、例えば幕末の井伊直弼であったり、徳川四天王である井伊直政であったりするのですが、井伊直親は井伊直政の父親として知られている人物です。直弼にとってもご先祖様にあたります。

 井伊直親(いい なおちか)
 生年  1535年(天文4年)
 没年  1563年(永禄5年)
 改名  亀之丞⇒直親
 主君  今川義元⇒今川氏真
 親   父:井伊直満 養父:井伊直盛
 妻   正室:奥山ひよ(奥山朝利娘) 婚約者:井伊直虎
 子   高瀬姫 井伊直政

井伊直満

 1535年、井伊直満の子として生まれました。

 直満は井伊直平の次男であり、今川義元に仕えた人物です。しかし兄である井伊直宗の嫡男である井伊直盛には男子がおらず、直満は自分の子である直親を養子に出す約束をしていました。

 つまり井伊家直系の家督を、自分の子が継ぐことができるようになるはずだったのですが、これに反対する家臣・小野政直の讒言により謀反の疑いをかけられ、弟の井伊直義と共に今川義元に殺害されてしまいます。

井伊直虎との関係

 1544年(天文13年)に父・直満が死去すると、まだ幼かった直親は信濃国へと落ち延びます。

 ちなみにこの事件が起きる前まで直親の許婚であったのが、井伊直虎でした。
 直親は信濃にて逃亡生活を送っている間に正室を迎えることになったため、直虎は婚期を逃し、出家してしまいます。

井伊家の家督相続

 1555年になると、直親は今川家臣として復帰。

 1560年には今川氏と織田氏の間に桶狭間の戦いが勃発し、井伊家当主であった井伊直盛が戦死。これによって当初とは違えども、正式に直親が井伊家の家督を継ぐことになりました。

 しかしこの頃今川家は当主義元が討死したこともあって混乱し、遠州錯乱とも呼ばれる状態にありました。
 井伊家自体も当主を失って家督相続をしたばかりであり、この混乱に巻き込まれていくことになります。

 1563年、直親は今川氏から離反した松平元康との内通の疑いを、今川氏真から受けます。これはかつて父である直満について讒言した家臣である小野政直の息子である小野政次(道好)による讒言によるものでした。

 父親同士の因縁から直親と政次の仲は悪く、また井伊家と小野家の権力闘争による結果ともいえます。

 ともあれ直親は縁戚にあった新野親矩(妹が井伊直盛の妻)のとりなしによって、氏真に直接申し開きをするために駿府へと向かいました。
 しかし氏真はすでに直親を誅殺つもりであったため、駿府へと向かう道中にて今川の重臣である朝比奈泰朝の襲撃を受けて、討死しました。享年28。

嫡子・井伊直政

 これによって井伊家は衰退。
 男子で家督を継げる者がいなかったため、かつての許婚であった井伊直虎が還俗して井伊家当主となり、おんな城主などと呼ばれるようになります。

 また直親の忘れ形見である直政は直虎によって育てられ、のちに家督を相続。
 徳川家康に仕え、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑などと称せられるほどの活躍をみせ、功臣として名を馳せました。

井伊直親 関係年表

 1535年 井伊直満の子として生まれる。
 1544年 父・直満、讒言により自害。直親、信濃へ脱出。
 1555年 今川家に復帰。
 1560年 桶狭間の戦いにて井伊直盛戦死。井伊家の家督を継ぐ。
 1563年 内通の疑いを受け、今川氏真によって殺害。享年28。

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