朝倉氏景 ~越前平定を完成させた、朝倉氏第8代当主

朝倉氏景 ~越前平定を完成させた、朝倉氏第8代当主

三つ盛木瓜 朝倉氏景とは室町時代から戦国時代にかけての武将であり、越前国の戦国大名です。
 父の代において下克上にて手に入れた越前国の支配を、完成させた人物としても知られています。

 また一門の当主において、先祖にあたる3代目当主にも同名の人物がいます。

 朝倉氏景(あさくら うじかげ)
 生年  1449年(文安6年)
 没年  1486年(文明18年)
 改名  阿君⇒氏景
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉孝景
     母:朝倉将景の娘
 兄弟  景明 孫四郎 景総
     教景(以千宗勝)
     時景 景儀 宗滴
 妻   宝林慈珍大姉
     瑞渓妙祥大姉
 子   貞景 景宗

応仁の乱

 1449年(文安6年)に朝倉(英林)孝景の嫡男として誕生しました。

 1467年(応仁元年)に勃発した応仁の乱において、氏景は父と共に西軍に属して戦いましたが、東軍からの寝返りの交渉を受け、孝景は越前に戻ります。
 一方で氏景は寝返りを気取られないよう、京都に残りました。

 1471年(文明3年5月21日)に、室町幕府より越前守護職の確約を認めた書状が届いたことで、孝景は公然と東軍へと寝返ります。

 氏景は西軍陣営より抜け出し、東軍の細川成之の屋敷を通じて越前へと戻りました。

越前支配の確立

 孝景は苦戦しながらも連勝を重ね、越前国をほぼ平定するも、甲斐敏光や二宮氏や斯波義寛の反撃を受けて苦境に立たされる中、1481年(文明13年)死去します。

 父の死により家督を継いだ氏景は、叔父である経景や光玖、景冬と協力して、襲来した甲斐氏と戦いこれに大勝し、越前国の支配を確立させました。

 越前守護職を得、下克上によって手に入れた越前国でしたが、そういった経緯であったため、旧主であった斯波義寛より守護職返還の訴訟がたびたび起きることになります。

 それに対し、氏景はまず越前における仏教勢力であった平泉寺と結び、宗教の力を背景に支配を図ります。

 またかつては敵対関係にあった斯波義廉の子を擁立し、それに鞍谷公方を継がせて足利義俊として越前国の名目の上での国主とすることで、相対的に斯波氏の影響力を弱め、斯波氏の守護職奪還を阻みました。

 この氏景の奇策ともいえる手段には、さすがの幕府も難色を示したようですが、氏景はこれを断行し、越前国支配の大儀名分を得ることになります。

 しかし氏景は家督を継いでわずか5年、38歳の若さにて急死。

 家督は嫡子であった貞景が継いだもののまだ若く、再び朝倉氏内において火種がくすぶることになるのです。

朝倉家歴代当主

第一代  朝倉広景      1255年~1352年
第二代  朝倉高景      1314年~1372年
第三代  朝倉氏景(大功宗勲)1339年~1405年
第四代  朝倉貞景(大心宗忠)1358年~1436年
第五代  朝倉教景(心月宗覚)1380年~1463年
第六代  朝倉家景      1402年~1451年
第七代  朝倉孝景(英林孝景)1428年~1481年
第八代  朝倉氏景      1449年~1486年
第九代  朝倉貞景      1473年~1512年
第十代  朝倉孝景(宗淳孝景)1493年~1548年
第十一代 朝倉義景      1533年~1573年

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