朝倉高景 ~越前朝倉氏の基礎を築いた、第2代当主

朝倉高景 ~越前朝倉氏の基礎を築いた、第2代当主

三つ盛木瓜 朝倉高景とは南北朝時代から室町時代にかけての武将であり、越前朝倉氏の2代目当主として知られています。


 朝倉高景(あさくら たかかげ)
 生年  1314年(正和3年)
 没年  1372年(文中元年/応安5年)
 改名  彦三郎⇒正景⇒高景
 別名  孫次郎
 家紋  三盛木瓜(みつもりもっこう)
 親   父:朝倉広景
 兄弟  中野愚谷 松尾宗景
 子   氏景 阿波賀茂景
     向久景 三段崎弼景

高景と名乗る

 1314年(正和3年)に朝倉広景の子として誕生。

 父・広景は非常に長命で、広景の生年からすると高景は60歳近い時の子ということになります。

 朝倉氏はもともと但馬国の出でしたが、鎌倉幕府の滅亡に際して斯波高経に従って越前国に入り、広景の代から越前国に根ざすことになったようです。

 高景もまた父親同様、斯波氏に家臣として仕えていました。

 1355年(文和4年)に起きた東寺南大門での合戦では、南朝側の3万もの大軍を打ち破り、足利尊氏よりその名をもらって(尊氏は初め高氏と名乗っていた)初めは正景と名乗っていたところを高景と改めます。
 そしてこの頃から遠江守高景と名乗りました。

 とはいえこの「高」の字を尊氏からもらった逸話に関しては、そもそも「高」の字をもらったのは足利尊氏にしろ、斯波高経にしろ、北条高時からであり、怪しいとされているようです。

 1357年(正平12年/延文2年)には、尊氏より足羽荘預所職をあてがわれました。

貞治の変

 1366年(正平21年/貞治5年)の貞治の変において、高景は室町幕府軍の一員となり、主家であった斯波高経に反旗を翻します。

 高景は杣山城を攻め、その功績により、室町幕府第2代将軍・足利義詮から越前宇坂荘、棗荘、東郷荘、坂南本郷、河南下郷、木部島、中野郷など7ヶ所の地頭職を賜って基盤とし、越前朝倉氏の基礎を築くことになりました。

 貞治の変により斯波高経が失脚したことで畠山義深が新しい越前守護となっていましたが、高景はこれに完全に従わず、幕府との関係を背景にして、独自の立場を作っていたようです。

 そして1372年(文中元年/応安5年)に死去。享年59。

 その家督は子の氏景(大功宗勳)が継ぐことになります。

朝倉家歴代当主

第一代  朝倉広景      1255年~1352年
第二代  朝倉高景      1314年~1372年
第三代  朝倉氏景(大功宗勲)1339年~1405年
第四代  朝倉貞景(大心宗忠)1358年~1436年
第五代  朝倉教景(心月宗覚)1380年~1463年
第六代  朝倉家景      1402年~1451年
第七代  朝倉孝景(英林孝景)1428年~1481年
第八代  朝倉氏景      1449年~1486年
第九代  朝倉貞景      1473年~1512年
第十代  朝倉孝景(宗淳孝景)1493年~1548年
第十一代 朝倉義景      1533年~1573年

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