山崎吉家 ~刀根坂の戦いに散った、朝倉家名臣

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 戦国時代の大名、朝倉義景といえば何かと評価の低い人物ではありますが、その家臣もまた主の評価に引きずられやすいとはいえ、実際のところどうだったのか。

 いまいちぱっとしない朝倉家家臣ではありますが、ちょこちょこっと取り上げていきたいと思います。
 義景に仕えた家臣の中で、比較的名臣であったといえるのが、山崎吉家という人物です。

 山崎吉家(やまざき よしいえ)
 生年  不詳
 没年  1573年(天正元年)
 主君  朝倉孝景⇒朝倉義景
 親   山崎長吉
 兄弟  吉延 半左衛門 珠宝坊
 子   吉建

軍略に優れ、外交にも関与する

 生年は分かってはいませんが、父親は山崎長吉といわれ、弟に山崎吉延などがおり、子に山崎吉建がいます。
 史料に登場する初見は、享禄の錯乱の際に朝倉氏は加賀に出兵することになるのですが、この時朝倉宗滴に従った時のことです。名将朝倉宗滴の元で加賀の一向一揆と戦った経験により、その軍略を磨いていったものと思われます。

 1555年に加賀の一向一揆との戦いの最中、宗滴が病に倒れ、総大将を一族の朝倉景隆が引き継ぐわけですが、吉家もまた景隆と共に出陣したとされています。

 吉家は宗滴が行っていた上杉氏との交渉を引き継ぎ、またその語、織田信長との対立が明確になっていくと、武田信玄とも交渉をもったとされています。戦国時代では有名な上杉や武田との交渉を任されるほどであり、朝倉の外交上、相当に重要な働きを担っていたことが伺えますね。

堀江景忠謀反

 一向一揆以外では比較的平和で安定していた越前ですが、1567年に堀江景忠による謀反が起こります。これもまあ、一向一揆絡みです。

 この謀反討伐にも魚住景固と共に、大将として派遣されています。この戦いでは激戦ながらも決着がつかず、堀江景忠を能登に亡命させることで決着をみたそうです。

金ヶ崎の戦い~姉川の戦い

 1570年に行われた金ヶ崎の戦いでは朝倉本隊第一陣として先発します。
 この戦いで信長は浅井氏の裏切りにあって挟み撃ちとなり、金ヶ崎の退き口と呼ばれる撤退戦をする羽目になるわけですが、吉家は信長撤退後は総大将である朝倉景鏡に従って近江へと進み、更に美濃国境まで進軍します。そこで垂井・赤坂周辺を放火し、長比・苅安尾といった城砦を修築して織田軍の来襲に備え、その後越前へと帰陣しました。

 しかし直後に織田軍の来襲を許し、姉川の戦いが勃発。吉家はこれは参加しておらず、朝倉・浅井連合軍の敗北という結末になります。

坂本の戦い

 姉川の戦い以後、信長は摂津に進出。これは三好三人衆を討つためだったのですが、手薄になった織田軍の背後を突く形で、再び朝倉軍は近江に入ります。吉家は一足早く、浅井長政の援軍要請に答えて小谷城に入り、山崎丸と呼ばれる砦を築いたそうです。

 その後朝倉本隊と合流。吉家は朝倉景建と共に先陣の命を受け、織田軍と戦います。この坂本で行われた宇佐山城の戦いで吉家は勝利し、織田家の名だたる武将である森可成・織田信治・青地茂綱らを討ち取る戦功をあげました。

刀根坂の戦いにて奮戦

 その後、朝倉と織田との戦いは徐々に朝倉方劣勢となり、1573年になると、信長は近江に侵攻。小谷城を包囲します。

 浅井の盟友である朝倉氏も、家中の反対を押し切って、義景自ら救援に出陣。しかし前線である大嶽砦が織田軍の奇襲に遭って陥落すると、義景は撤退を決断。しかしこれを読んでいた信長によって徹底的な追撃戦が展開されます。これは世に言う刀根坂の戦いであり、朝倉軍は大混乱に陥りました。

 吉家は殿軍を任され踏みとどまり、奮戦。織田方を押し返すなどの奮闘振りをみせるものの、ついにて力尽きて戦死を遂げます。この時に山崎吉延といった弟や、子の吉建などを含む一族のほとんどが討ち死にしたという、壮絶なものだったようです。
 これによって朝倉軍は壊滅し、滅亡へと向かうことになりました。

 この戦いで一族のほとんどを失った吉家でしたが、甥である山崎長徳は後に明智光秀や柴田勝家、そして最後には前田家に仕え、関が原の戦いや大坂の陣で活躍したとされています。

山崎吉家 関係年表

 1531年 享禄の錯乱に伴う、朝倉軍の加賀出兵に従軍。
 1555年 朝倉宗滴の代わりに加賀一向一揆攻めに出陣。
 1567年 堀江景忠の謀反。魚住景固と共に大将として派遣。
 1568年 足利義昭の朝倉館訪問の際に、年寄衆として挨拶。
 1570年 金ヶ崎の戦いに出陣。
     近江に出陣。
     浅井氏の援軍として小谷に入城。山崎丸を築く。
     坂本、宇佐山城の戦いに勝利。
 1572年 義景の近江出陣に12月まで従軍。
 1573年 義景の敦賀出陣に従軍。若狭に進出し、佐柿城に付け城を築く。
     刀禰坂の戦い。殿軍となり、奮戦するも戦死。

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補足だか蛇足だか

信長の野望 創造 戦国立志伝より、能力値

  統率 武勇 知略 政治
山崎吉家  53  45  73  74

 軍事よりも内政の方が評価されている、といった感じでしょうか。軍事もどちらかといえば軍略の方を評価されている能力値ですね。
 家臣がぱっとしない朝倉家中では使える武将です。

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