日本の城郭 姫路城

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平成の修理を終えて

 今回は姫路城の紹介です。

 姫路城は平成の修理(2009年~2015年)と呼ばれる工事を経て、2015年に生まれ変わりました。昭和の大修理、というのが以前行われたのですが、その際に50年は保つ、とされていたはずが、50年たたない時点で劣化が激しく、今回の修理はそれらを踏まえて行われたそうです。
 ちなみに当然というか何というか、明治や江戸時代にも修理は行われていたようです。

 ともあれ綺麗になったので、一度行ってみたいと思っていたこともあり、私も足を伸ばしてきました。その時のことの紹介です。

日本100名城

 所在地は兵庫県姫路市です。交通手段は列車ですね。北陸からは一発では行けないので、特急と新快速を乗り継いで向かいました。
 ちなみに姫路城は江戸時代初期に建てられ、今では国宝や重要文化財だらけとなっており、ユネスコの世界遺産の一つであったり、日本100名城の一つであったりと、箔がつきまくったお城ですね。白鷺城とも呼ばれています。

姫路駅から

 何時間かかけて、JR姫路駅に到着。姫路駅は新幹線も通っており、兵庫県で最大の規模も駅だとか。仕事の休みを使って平日に行きましたが、観光客が多かったです。

 その駅から出ると、大きな道がずうっと開けているわけですが、その先に見えるんですね~姫路城が。見通しがいいので、距離はそれなりにあるのですが、しっかり見えます。観光客にとってはいい演出になってます。

 自分はそこから歩きました。目の前にに見えてるじゃん! と思っててくてく歩いたわけですが、歩いてみるとけっこう距離がありました。ちなみにかつての堀は、駅前まであったそうで、そう考えるとかなりの規模を誇っていたことになります。

 歩ききって、ようやく城内に到着。観光客がうじゃうじゃいます。自分もその一人ですが、平日なのにびっくりです。しかも多国籍。色んな国籍の方が観光に来られているようで、さすが世界遺産は伊達じゃない、といったところでしょうか。

姫路城の歴史

 南北朝~江戸時代において

 ここで少し歴史の勉強です。
 姫路城は南北朝時代に赤松氏が建てたのが始まりでした。以降、家臣であった小寺氏が代々城代を務めていきます。

 その後小寺則職が城代の時に、則職が御着城に移ると、家臣であった黒田重隆が預かることになります。姫路城は御着城の支城、という扱いでした。この頃は現在知られている姫路城に比べ、ずっと規模の小さいものでした。

 1567年(永禄10年)になると、黒田考高が城代になります。あの黒田官兵衛です。なのでこの辺りくらいから、大河ドラマの『軍師官兵衛』にも描かれていますね。

 その後考高は織田方につき、羽柴秀吉に姫路城を献上します。本能寺の変や、関が原の戦いなどの動乱を経て、最終的に姫路城には池田氏が入ることになりました。当時の城主は池田輝政です。

 姫路城は豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制するという重要な任を担っていたため、大改修を行い、広大な城郭を築きました。今の姫路城の形は、この池田氏によって築かれたものなわけですね。
 もっともその姫路城の城主は、江戸時代に目まぐるしく変わったようです。

 昭和時代 太平洋戦争を生き残る

 姫路城といえば「白」であり、非常に目立ちました。また姫路には軍需産業の拠点もあり、陸軍の部隊も置かれていたため、アメリカ軍に爆撃される可能性は非常に高く、当時姫路城は黒い網で覆い隠して守ろうとしたそうです。

 しかし昭和20年の姫路空襲によって、姫路城下は焼き尽くされました。だが奇跡というか、非常に運が良かったのか、空襲にあって姫路城は焼失を免れます。焼夷弾も着弾したのですが、不発であったそうで、現在に残ったというわけです。名古屋城などは空襲にあって焼失したのですから、本当に運が良かったといえるでしょう。

大天守に登ってみる

 せっかく来たのだから、大天守に向かいます。
 時代劇などでもよく出てくる姫路城なだけに、外観は非常に馴染みがあります。ただ改修を経て真っ白なところが、記憶とは違うところです。というか日本の城、といえばTVなどで刷り込まれているせいで、姫路城が基本になってしまうんですよね。何はともあれ格好いいのは間違いありません。
 その大天守ですが、登るのはなかなか大変でした。なにせ観光客が集中して訪れるので、最上階などはもう鮨詰め状態。こんなに人を入れていいのか、というくらいの人口密度でした。歩く速度は牛歩。すり足でちょこちょこ進む速さ。もちろん止まれません。戻るなんてもっての他。のんびり姫路の市街を見る余裕もあまりありませんでした。

 あまり人が多いと入城制限もあるようで、それが無かったところをみると、平日だけあってまだあれでも人が少ない方だったのかもしれません。これが土日祝日だったらどうなっていたことやら。

 ともあれ、規模といい居様といい、満足のいく城でした。観光客が多くてのんびりできなかったのが残念でしたが、また少なくなった頃を見計らって、再び訪れたいものです。

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