細川ガラシャ ~強き女

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 戦国時代に出てくる女性の中では、その壮絶な最期だけに有名な人物です。今回の真田丸では細川ガラシャにまつわるエピソードもありました。というわけでまったくもってマイナーな人物ではないのですが、せっかくなので紹介です。

明智光秀の娘

 細川ガラシャという名前が有名ですが、元々の名前は明智珠(あけち たま)といいました。戦国時代で明智といえば、やはり明智光秀が有名ですが、彼女もその関係者、ということになります。というか娘です。
 明智光秀の三女で、越前の生まれでした。父親である明智光秀はしばらく朝倉義景に仕えており、その頃に生まれたようです。ちなみに母親は妻木煕子です。

父、光秀の謀反のため、逆境に

 その後1578年に、細川忠興に嫁ぎます。細川忠興は『真田丸』でも登場していますね。この忠興との夫婦仲は良かったとされています。しかし本能寺の変が起こると、ガラシャにとって逆境が訪れます。何しろ本能寺の変の首謀者は父親である明智光秀だったからです。光秀の謀反が成功すれば話は変わったのでしょうが、光秀も信長と共に滅んだことで、ガラシャは逆臣の娘ということになってしまうわけですね。ちなみに細川家はこの時、光秀の誘いを断って、謀反に組しませんでした。

ガラシャの名

 ともあれガラシャはそういう事情もあって、しばらく幽閉されることになります。しかし羽柴秀吉のとりなしもあって、監視されながらも幽閉状態から解放されました。そしてそれ以降に、カトリックに興味を持つようになっていったようです。
 1587年にバテレン追放令が出た頃に洗礼を受けて、ガラシャという洗礼名を受けました。ちなみにガラシャとは、恩寵、という意味だとか。

壮絶な最期

 そして1600年。関が原の戦いの直前。西軍の石田三成はガラシャを人質に取ろうとしますが、彼女はこれを拒否。石田方に屋敷を囲まれ、死を覚悟し、家老の小笠原秀清が介錯しました。そして屋敷に火をつけ、自らも自刃したとされています。

 ちなみに当時の日本の慣習として、夫不在の折に妻の名誉に危険が生じた時には、家臣が妻を殺した上で全員切腹、というものがあったそうで、ガラシャもこれに従ったとされます。
 よくいわれるのが、キリスタンは戒律のため自害ができないので、家臣の手にかかって死亡した、というものです。ただ史料によってはガラシャは自害したという記述もあるそうですね。

 現在細川ガラシャ、という名が通っているのは明治の時代にキリスト教徒が彼女を讃え、そう呼ぶようになったからであり、それが現代にまで広まっているというわけです。

補足だか蛇足だか

信長の野望 創造 戦国立志伝より、能力値

  統率 武勇 知略 政治
ガラシャ  72  58  78  78

 女性武将だから武力は低め……といっても58もあったり。もっと低い男性武将もたくさんいますからね。
 それ以外は70オーバーと高め。さすが明智光秀の娘。優秀です。

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